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太鼓谷稲成神社

島根県鹿足郡津和野町後田409 
ここは1000本近い鳥居が連なっていることで有名です。



【御由緒】
太皷谷稲成神社は安永2年(1773)に津和野藩主7代亀井矩貞(かめいのりさだ)公が津和野藩の安穏鎮護と領民の安寧を祈願するために、
三本松城(津和野城)の表鬼門にあたる東北端の太皷谷の峰に、京都の伏見稲荷大社から斎き祀ったのが始めです。
以来、歴代の藩主の崇敬が篤く、廃藩後は一般庶民も参拝できるようになり広く信仰を集め、
その後、 御神徳は霊験と共に全国に崇敬景仰され、今では日本五大稲荷神社のひとつに数えられています。


日本五大稲荷
伏見稲荷大社  近畿の京都市伏見区
笠間稲荷神社  関東の茨城県笠間市
竹駒神社    東北の宮城県岩沼市
祐徳稲荷神社  九州の佐賀県鹿島市
太皷谷稲成神社 中国の島根県津和野町
※稲荷神社は、伏見稲荷(神道系)と豊川稲荷(仏教系)の系統があります。


大正13年(1925)には、北白川宮大妃殿下が御参拝なされ、宝物の寄進があり、宝物殿を設置し、次いで養老文庫を設けました。
社殿は幾度となく建替えられ、今の元宮(旧社殿)は、大正12年(1924)に建てられました。
また、昭和30年代には参拝者の激増に伴い、昭和38年(1963)9月に新社殿建設の奉賛会を結成し、
昭和42年(1967)に境内地西側の山を切り開き社殿地を造成し、昭和44年(1969)12月に、新社殿が竣工、御遷宮を斎行しました。
古い社殿は、「元宮」として残し、御分霊が奉斎してあります。
元宮は昔、御殿様の崇敬神社であった為、城に向かって建てられてあり、城内地である為、庶民は参拝出来ませんでした。
明治になり一般庶民も参拝できるようになりました。
新社殿は津和野町内に向いています。



【御祭神】
『宇迦之御魂神(うかのみたまのかみ)』  女神

 神宮外宮に祭られている豊受大神と同一神とされています。
『古事記』では宇迦之御魂神、『日本書紀』では倉稲魂命(うがのみたまのみこと)と記されています。
『古事記』では須佐之男命と(すさのをのみこと)神大市比売神(かむおおいちひめのみこと)との間に生まれた神で、
大年神(おおとしのかみ)やその御子とともに穀物神とされています。
また『日本書紀』では伊邪那岐命(いざなぎのみこと)と伊邪那美命(いざなみのみこと)の神生みのときに
「飢えて気力のないときに生んだ子を倉稲魂命という」と一書(第六)に記されており、
一書(第七)には倉稲魂命のところに宇介能美柁磨の訓注がみられる。
神名は宇迦は食(うけ)と同意で食物の意味で「ウカノミタマ」とは稲魂そのものといい、
「延喜式大殿祭祝詞」の中に「是れ稲の霊なり」とあるように、稲の精霊であると思われます。
またこの神名ゆえか多くの稲荷神社の祭神ともなっています。
稲魂を神名に持つ神は多く存在し、なかに多くの女神の例が多く見られることから、稲魂の性別を女性として考える伝承があったといわれています。
これとは別に、稲魂の祭事女性がつかさどったことに由来するという説もあります。
この宇迦之御魂神の信仰は民間信仰の中にも広く伝わっており、年の暮れの餅をウガノ餅といい宇賀神に供えたり祀ったりされていました。


『伊弉冉尊(いざなみのみこと)』  女神

『古事記』では伊邪那美命、『日本書紀』では伊弉冉尊(いざなみのみこと)と記されています。
神名の意味はイザナは誘(いざ)なうの意味で、ミが女性を表します。
先に生まれた伊邪那岐命との交合を表した神名であると思われます。
同時期に生まれた国之常立神(くにのとこたちのかみ)、豊雲野神(とよぐもぬのかみ)、宇比地邇神(うひぢにのかみ)、須比智邇神(すひぢにのかみ)、
角杙神(つぬぐいのかみ)、活杙神(いくぐいのかみ)、意富斗能地神(おおとのぢのかみ)、大斗乃弁神(おおとのべのかみ)、
淤母陀琉神(おもだるのかみ)、阿夜詞志古泥神(あやかしこねのかみ)、伊邪那岐命(いざなぎのみこと)と並んで「神世七代」と称されます。
『記紀神話』では、伊邪那岐命と共に天津神に国造りを命じられ、
はじめて夫婦となって交合し大八島国(日本の国土)と大事忍男神(おおごとおしをのかみ)ら35の神々を生んだ。
これらの神は、家屋、海、山、川、風、草、木、土地などの神である。
最後に火之夜芸速男神(ひのやぎはやおのかみ)を生むときに伊邪那美命が火傷を負い死んでしまう。
伊邪那美命を忘れられない伊邪那岐命は黄泉国(死者の国)に行き戻ってくるよう説得するが、
伊邪那美命は黄泉国の食べ物を食してしまったため戻れないという。
しかし黄泉国の神に相談してくるので、その間自分の姿を見ないようにと御殿の中に帰っていった。
その間がたいへん長くて、伊邪那岐命は待ちきれなくなり御殿の中へ入っていった。
すると蛆がたかり、ごろごろと鳴って、頭には大雷(おおいかづち)、胸には火雷(ほのいかづち)、腹には黒雷(くろいかづち)、
陰部には析雷(さくいかづち)、左手には若雷(わきいかづち)、右手には土雷(つちいかづち)、左足には鳴雷(なるいかづち)、
右足には伏雷(ふしいかづち)の合わせて八種の雷神が伊邪那美命の体に生まれていた。
これを見た伊邪那岐命はその場から逃げ出し、夫に姿を見られた伊邪那美命は恥じて夫を殺そうと追いかけましたが、追いつくことが出来ず、
夫の世界(人間の世界)の住人を一日に千人絞め殺すという呪いをかけました。
これに対して伊邪那岐命は千五百もの産屋を建てることを誓いました。
このことにより、世界では一日に千五百人が生まれ、千人が死ぬことになったといいます。
『古事記』には伊邪那美命の埋葬地は出雲国と伯耆(ほうき)国の境の比婆山(ひばやま)と記され、『日本書紀』には一書に紀伊国の熊野の有馬村とあります。



日本の国造りの神 『伊弉諾尊(いざなぎのみこと)』

『古事記』では伊邪那岐命、『日本書紀』では伊弉諾尊(いざなぎのみこと)と記されています。
神名の意味はイザナは誘(いざ)なうの意味で、ギが男性を表します。

黄泉国から帰った伊邪那岐命は、筑紫国の橘の日向(ひむか)の小門(おど)の阿波岐(あわき)原で禊祓いをしました。
身につけていた杖や帯、衣を投げ捨てると、そこから神々が生まれました。
そして水をかぶると、またそこから神々が生まれました。
最後に左目をすすぐと天照大御神(あまてらすおおみかみ)、右目をすすぐと月読命(つきよみのみこと)、鼻をすすぐと須佐之男命の三神が生まれました。
この三柱の神を「三貴子」といいます。
「三貴子」を得た伊邪那岐命は天照大御神に高天原を、月読命に夜食国(よるのおすくに)を、
須佐之男命(すさのをのみこと)には海原を治めさせ自分は隠居しました。
伊邪那岐命の終焉の地については、『古事記』では近江の多賀とも淡路の多賀ともいわれ、
『日本書紀』では幽宮を淡路に造り、静かに長く隠住んだとも、総ての仕事を終え天に上ったともあります。



【稲成大神の御神徳】
稲荷大神様は衣食住の大祖神様、五穀豊穰の神様であります。
江戸時代よりは商売繁昌の神様としても信仰されました。
特に願望成就の神様として崇敬されています。
五穀豊穰・産業発展・商売繁昌・開運厄除・福徳円満・願望成就


【稲成の由来】
昔、お城のお倉番が鍵を紛失し、その責任として切腹を言い渡されました。
お倉番は静かに稲成神社に祈願しつつ、八方手を尽くして探索しましたが、鍵の所在は不明のまま処刑の日は迫ります。
然るに、祈念満願の日、鍵はお倉番の手に返り、処刑は免れました。
この願望成就の御神徳に人々は只感涙したと言います。
よって、願望成就の「成」をとって稲成神社となりました。
稲荷、稲生、飯成の文字を使った神社もあります。





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2008年8月31日(日)        記        /     

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