【千姫事件】
元和元年(1615)大坂夏の陣に際して、坂崎出羽守は炎上する大坂城内から
徳川家康の孫である千姫を満身創痍となって助け出しました。
これは千姫を与えるという家康の言葉を信じたからでした。
ところが意に反して千姫は本多忠刻(ほんだ ただとき)のもとに嫁ぐことになりました。
(出羽守より本多忠刻のが、今で言う『イケメン』だったため、千姫が本多忠刻を選んだという説もあるそうです)
これを知った出羽守は千姫の輿を奪い取り、刺し違えようとまで思いつめました。
この騒動の張本人である家康はすでに亡く、千姫の父二代将軍徳川秀忠は幕府への反逆として断固たる処置を命じた。
老中評議の結果、坂崎出羽守の自決で決着させようとしましたが、出羽守はこれを聞き入れず、
結局坂崎家の家老が出羽守を殺害しその首を幕府に差し出した。
このため坂崎家は津和野城主となってわずか16年でお家断絶。
坂崎出羽守は悲劇の武将といえるでしょう。